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【勉強会レポート】死別を支える僧侶・お寺の可能性

  • templeonlinesalon
  • 2021年11月10日
  • 読了時間: 6分

先日、Bラーニングでは、一般社団法人リヴオンの代表 尾角光美(おかくてるみ)さんをご講師にお招きし、オンラインでの勉強会を開催しました。内容は、「死別を支える僧侶・お寺の可能性 ~今、コロナ下でグリーフに向き合う~」。


尾角さんは、10代の頃にお母様を自死によって亡くされているそうです。お母様は鬱を煩い、毎日「死にたい、死にたい」と言う状況で、家族も疲弊し、支えたり向き合うことが難しかったと言います。お母様が亡くなられて、学費が払えないなど大変な思いをすることも多く、しかしその中でも多くの方に支えていただいたとのこと。だからこそ、恩返しや恩送りがしたいと思い、グリーフの活動をするようになったそうです。


尾角さんはその後、リヴオンという団体を設立し、大切な人を亡くした若者のための集いの場や、「いのちの学校」というグリーフを学び合う場などを開催などをするように。僧侶などのお寺向けにも、「グリーフケア連続講座」を開催され、受講されたお寺の方々が、ご葬儀やご法事をグリーフケアの文脈でとらえなおしたり、ご遺族の集いの場をつくったりと求めに応じた工夫をされています。リヴオンでは、グリーフケア、グリーフサポートが当たり前にある社会を目指して活動をされています。この日は、そうしたご自身の経験や、そもそもグリーフとは何か、そしてコロナ下におけるグリーフなどについてお話を伺いました。



◆グリーフとは

リヴオンでの定義によれば、グリーフとは、大切な人、ものなどを失うことによって生じる、その人なりの自然な反応、感情、プロセスのことを言います。ご葬儀やご法事などの文脈でいうならば、大切な方を失って生じる何らかの反応や感情などのこと。


グリーフは、悲嘆だけでなく、後悔や怒りであったり、安心や無関心という場合もあります。例えば、お連れ合いや、お子様などを若くして亡くされると、その悲嘆は深く大きい傾向にあります。また、介護が長く、ご本人も周囲の方々も苦しさが続いていた状況であれば、安心や安堵の感情がおこる場合もあります。


そのように、亡くなられた方との関係性や、亡くなられた状況、ご自身の立場などによりグリーフは様々です。Grief is normal。「感じ方はそれぞれでいいんですよ」と、尾角さんの優しい語りが胸の中に響きました。ご遺族などと接する場合には、そうした様々な感情を抱くことを自然なものとして受け止めていこうとする姿勢の大切さを教わりました。


そして、グリーフの影響は多岐にわたるので、心理的なものだけでなく、身体などにも不調が出たりすることも。「体調どうですか?」「眠れていますか?」というような問いかけも大切だとのことです。


◆コロナ下におけるグリーフ

日本では、2020年3月より本格化した新型コロナウイルスの流行により、死別関連の分野でも多様で多大な影響が起きています。新型コロナウイルスに感染して亡くなられた方は、看取ることも、お身体に直接触れることも、ご葬儀をおこなうことも難しい状況にあります。


また、たとえ新型コロナウイルスに感染していなくても、病院や介護施設などでは院内感染を防ぐため、面会が制限されているところも多い状況です。家族とも会えない寂しさの中で、認知症が進んだり、身体が弱っていく方々が多く出ています。


ご葬儀やご法事は、ごく少人数の近親者のみで勤められ、子どもや孫であっても長距離にいる場合は、移動自粛のため、式に出ることが難しい場合もあります。また時には、ご家族よりも関係性の深い友人、知人、ご近所の存在もあるが、そうした方々も家族葬の名のもとにおこなわれる葬儀に参列できず、ましてや亡くなったことすら知られない場合もあります。


この日の勉強会では、このような状況下の中、多くの方が「あいまいな喪失」を経験していることを教えていただきました。面会や看取り、葬儀や法事への参列など、これまで当たり前のようにおこなわれてきた死別の営みができなくなったことで、人々は大切な人に、「さようなら」や「ありがとう」、「ごめんね」といった言葉すらかけることができないまま別れていく状況にあります。


◆公認されない悲嘆

勉強会では、日本における死を隠す傾向についてもお話がありました。例えば、新型コロナウイルスに感染して亡くなったことに対する誹謗中傷があるとのこと。


新型コロナは、対策をしていても感染する場合がありますが、それにもかかわらず、自業自得という意見や、地域に感染者が出たということで顔向けができなくなるなどの状況があれば、ご遺族はコロナで亡くなったという事実を隠さなければならないような心境に追い込まれます。


ただでさえ、ご遺族は大切な方との死別という大きな事実に直面しているにも関わらず、その事実を隠したり、過度な配慮をしなければならない状況は二重苦です。これらの背景にあるのは、偏見や差別への恐怖や不安でしょう。


このような場合、大切な方を失ったという事実や、それによって抱える悲しみや苦しみについて誰にも語ることができません。語ることができないから、誰からも理解してもらえません。コロナ下では、そうした「あいまいな喪失」や「公認されない悲嘆」を多くの方が経験していると言います。


◆ままに聴く

「あいまいな喪失」や「公認されない悲嘆」を抱える方々が多くおられるからこそ、その方が生きた証や思いを大切にして弔い直したり、安心して思いを吐露できるような場の重要性を感じました。


亡き方を死因で見ることなく、一生懸命歩んでこられたその生涯に思いをはせながら、偏見なく対話していくこと。話す方は、ちゃんと話を聴いてくれる人を選んで話をする。


聴くという行為は、受信だけでなく、発信もしているという話がありました。聴き手の聴き方によって、話し手は分かってくれているなとか、安心して話せるなと思います。我々は聞く時に、ついつい自分の経験や価値観を持ち出して、ジャッジしたりアドバイスをする時もあります。しかし話し手は、そんなことよりもまず話をきちんと聞いてほしいと思っています。聴き手には、偏見なく、ままに聴いていく姿勢が求められることを思いました。


そして、聴くだけでなく対話するということ。人は、対話の中で気付き、変化していきます。対話は、自分の見方という海にどっぷりとつかったままの状態から、水面に顔を出して自分や周囲の状況を見渡す手助けになります。


また、自分自身を大切にすることの重要性も教わりました。自分に与えているケアの質が、他者との間に生まれるケアにつながるとのこと。人のためにという思いや行動は、とても美しく、救いとなるものですが、ついつい自分を大切にすることを見落としがちです。


自分が元気でなければ、健康でなければ、自分のことで精一杯になり、人のことを思う余裕も生まれてきません。少しの時間でも、自分が好きなことに意識的に時間を取るなどして、自らを大切にすることも大切とのことでした。


(執筆・文責:Bラーニング 神崎修生)

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